キラキラネームは生きている―キュウソネコカミに異議あり―
日本のロックバンド、キュウソネコカミが歌うの曲「What's your name?」に次のような文章がある。
流行るキラキラ光るお名前は時に人生の邪魔になるペット感覚で命名するエゴな親たち(中略)流行るキラキラ光るお名前は良くも悪くも忘れないお歳召したらどうすんだろ 気の毒な話
この歌詞には、キラキラネームを名付ける親に対しての批判、名付けられた子どもへの同情が込められているのは言うまでもない。
そもそもキラキラネームとは何なのか。これはもともと、DQN(ドキュン)ネームと呼ばれていたものが、保護者側が独自にキラキラネームと呼ぶようになり定着した。DQNネームは「人名としては一般常識に反するとされる珍しい名前」(Wikipediaより)に対する蔑称であり、ネットスラングのひとつだ。
結論から述べよう。キラキラネームは決して批判されるようなものではない。私はキラキラネームに対して肯定的な考えをもっている。ここではキュウソネコカミの歌詞を引用しつつ、私の考えを書いていく。
ペット感覚で命名するエゴな親たち
私は仕事柄、子どもに接することが多い。そこでは私の生まれた時代にはいない、珍しい名前の子どもが多くいる。難しい漢字を使用していたり、当て字であったり、外国人のような名前は日常茶飯事だ。
はじめこそ違和感を感じていた私だが、それらの名前を見ているうちに、そこに込められた親の想いを感じるようになった。
例えば、私がよく見かける子どもの漢字に「煌」がある。「煌煌(こうこう)」という熟語には「強く光り輝く様子」という意味があり、わが子に強く光輝く人生を送ってほしい、そんな願いがここには込められていると考えられる。
親子の姿を見ていて実感するのは、親は子どもを心から愛しているということだ。そこには”ペット感覚で命名”などというものは決してあり得ない。時間をかけ、漢字辞典を引き、生まれてくる我が子への生涯のプレゼントを吟味している、その姿が私の目には浮かんでくる。
お歳召したらどうすんだろ 気の毒な話
年老いてから自身の名前をどう感じるか。数十年後、自分はこんな名前を付けられて苦痛だ、と感じる子どもはごく少数だと私は考える。
○○子(例えば和子など)という名前は、今や一昔前の名前となった。それは平成に生まれた私でも実感している。○○子以前にはカタカナ表記の二文字の名前(例えばトメなど)が多くいた。つまり、人の名前は時代とともに変容していくものなのだ。今の子どもたちが歳をとる頃には、キラキラネームは当たり前になっているだろう。もしかしたら、キラキラネームはもう古い、と言われているかもしれない。それは時代の流れであって、日本人が生きていく上で当然のことなのだ。
昨今、キラキラネームへのさまざまな批判が飛び交っているが、言うまでもなく、一番大切なのは名付けられた子ども自身がどう考えるかだ。その名は決して安易な思いでつけられたものではない。お腹を痛めて産んだ我が子への愛おしさがあってこそ生まれた名前なのだ。それを当人が忘れない限り、その名前は輝き続けるのだろう。