マキシマムザホルモン×劇場版ドラゴンボール―マキシマムザ亮君と「F」を批判する―

ホルモン万歳なことばかり書いてたので、ここであえてホルモンを批判する側に回ってみる。
ちょうどタイムリーなニュースも入ってきた。
 
マキシマム ザ ホルモン「F」』×『劇場版ドラゴンボールZ復活の「F」』
 
ホルモンのシングル爪爪爪/「F」」に収録されている曲「F」がバトルソングとして『ドラゴンボールZ 復活の「F」』のトレーラーで使用されている。

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ここでドラゴンボールの作中で使用されるホルモンの曲、「F」に焦点を当てる。公式MVがなかったため、かなり不適切なマッドを貼ったが、この方が曲のイメージがわきやすいだろう。

 
この曲ではイントロで「ポアダ ポアダ ポア」をひたすら連呼する。
この言葉について、亮君は歌詞カードの曲解説にて、「いきなりど頭から激ヤバフレーズ連呼です。酷いです(笑)特に長髪で太った男がこのフレーズを言うと危険度増します(笑)」と述べている。
 
他には、以下のような画像がプリントされたTシャツを販売している。この画像からは"麻原彰晃の空中浮遊"が連想できる。

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http://www.summersonic.com/09/lineup/094.html?a=t09

 以上のことから分かるように、この曲で使用されている「ポア」とは、オウム真理教で使われていた「人を殺す」という意味を持つ「ポア」で間違いない。そこにどのような考えがあったとしても、この言葉を使用した時点で、私は作詞担当の亮君の倫理観に疑問を持つ。 

 
【ホルモンファンの反応】
ホルモンとドラゴンボールのコラボ実現に関して、Twitterではこのようにつぶやく人が後を絶たない。

彼らが「F」についてどこまで考えているのかは知りえない。ホルモンの曲は歌詞を見なければまず聴き取れないものが多い。しかし「F」に限っては、イントロで「ポアダ」と言っているのが鮮明に聴き取れる。コラボの実現に感動する、フリーザと「F」が合わさってより格良くなる程度の感覚で手放しで喜ぶようなことではない。

 

【作り手の倫理観】

このコラボ実現にあたってドラゴンボール製作側とホルモンのレーベルミミカジルは、倫理観についてどう議論したのか非常に気になる。

ドラゴンボールは言わずと知れた日本の国民的アニメだ。さまざまな年齢層がこの映画を見にいく。そこで流れる「F」を気に入り、原曲を聴いてみる人も少なくないはずだ。その中には子どももいるだろう。彼らのほとんどが「オウム真理教」を知らない世代だ。亮君の歌詞カードを見たところでまず理解できない。なんとなくリズムがいいからと「F」を歌うようになれば、それを聴いて気分を害する人はいくらでもいる。

日本は「表現の自由」が法律で認められているため、ホルモンがいくら「ポア」と叫んだところで、それを規制するものは何もない。だからこそ、作り手の倫理観が重要になるのではないだろうか。

 

【手段は選ぶべき】

ホルモンの曲には他にも倫理的に問題のあるものがある。「川北猿員」はもともと「川北サリン」というタイトルだったが、レコード会社からのクレームにより曲名を変更した。他には「パトカー燃やす」や「ポリスマンファック」くらいだろうか。一般的には受け入れがたいレベルの下ネタの多用もあるが、それは挙げだしたらきりがない。

作詞担当の亮君が歌詞カードに書く解説以外で何を考えてるのかは分からない。そもそも、その解説の解釈自体が人それぞれだ。亮君は独特な思想をもつ人であり360度まわって私のように批判してくる人は想定済みだろう。しかし、例え何かを批判するための手段だとしても、用いていい言葉といけない言葉が分かるだけの分別はあってほしい。  

 

【結局亮君はすごい】

以上のような感じでホルモンを批判的に見てみてみたが、結局私はホルモンファンであり、かなり穴ポコだらけの甘い批評になった。

このエントリの中では亮君を批判するために「ポア」の用い方に言及した。しかし亮君はあえてこの言葉を使用することで、オウムの行った数々の暴虐を分かっているつもりでいる現代人に向けて、「過去の事実から目を背けるな、決して忘れるな」と警鐘を鳴らしたのだと思う。

そこには、映画『独裁者』においてアドルフ・ヒトラーを批判したチャールズ・チャップリンの姿を彷彿させるものがある。自らがその姿を真似ることで風刺的な要素を帯び、結果としてその対象への批判につながるのだ。そのように考えると、やはり亮君はすごいの一言に尽きる。

 

それにしても自分の好きなもの、主観入りまくりのものを、批判的にみるのはなかなか難しいものだ。