煙草と生きて行こうかな

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授業を終えてから、仕事が一段落ついてから、煙草を口にくわえ、深呼吸する瞬間。
ニコチンを欲していた身体は、緊張から解放され、心地好い眩暈に襲われる。


学生時代も仕事に就いてからも、大事な人達と出逢う場所は、いつも喫煙所だった。


大学で、初めて憧れの先輩と話したのは、煙草の銘柄についてだった。

苦手な同期の女の子達と、互いの本音を語り合えたのは、喫煙所代わりに皆が集まっていた車の中や、コンビニの前だった。

就職して、同期のいない途中入社のわたしが、心を許せる仲間を作れたのは、やはり喫煙所だった。


スモーキング・コミュニケーション。


煙草は、わたしとわたしの大切な人達を引き合わせてくれた。

わたしはこれからも、煙草と共に生きていくのだと思う。





ということで、禁煙大失敗でした。

死にたいほど苦しいなら、逃げ出すのも1つの生き方

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学びたいことがあるから大学にいく。
やりたいことを見つけるために大学にいく。
親や先生がすすめるから大学にいく。
みんなが行くから大学にいく。
それぞれが、それぞれの理由で大学を目指す。どのような理由で進学を希望しようと、その人の自由。
しかし、世の中には、その勉強に押しつぶされて、生きていけなくなる人々がいる。
 
 
「受験うつ」という言葉がある。これは受験期に発症したうつ病の通称。それが重症化し、自殺にまで追い込まれる未成年が後を絶たない。

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引用元)受験うつ予防ナビ http://utu-yobo.com/jyuken/depression.html
 
 
親の言うこと、学校の先生の言うことがすべて。周りの人はみんな受験勉強にはりきっている。世の中の大多数がやっていることに自分もついていかなくてはいけない。
だから勉強する。大学を目指す。そして苦しくなっても、周囲の期待に応えなくてはと、誰にも弱音を吐けなくなる。
 
 
死にたいほど苦しいなら、いっそ勉強なんてやめてしまえばいい。私はそう思う。
 
私は彼らの気持ちに共感を覚える。
私の最終学歴は短大卒。四大の受験が辛くて、そこから偏差値の低い短大へ逃げた。
私はずっと人生の落後者だと思っていた。生まれてきたことへの後悔、産んだ親への憎しみ。生きる価値なんて自分にはない。もう人生を終わりにしたいと何度も思った。
それでも、私は今も生きている。それは、その後の人生で、楽(らく)なこと、楽しいことだけを選択してきたからだ。
 
受験で未来が決まる、就活で人生の優劣が決まる、ずっとそう思っていた。そんなのはインチキだ。
私は今、パートで生活をしている。それで自分が人よりも優れている、劣っているとはまったく思わない。先の人生がどうなるかは分からない。しかし、楽しそうなこと、ワクワクすることを、これからも選んでいくつもりだ。そう考えていると、生きていること自体が楽しくなってくる。これが私の生き方だ。
 

苦痛に耐えてこそ充実感があるのは事実だ。しかし、苦痛から逃げても、人生は人生。楽な方へ楽な方へ逃げたって構わない。
若いうち、視野が狭いうちは、自分には他の選択肢はない、この道から外れれば生きていけなくなると思ってしまう。それは間違いだ。生きていくための道は他にいくらでもある。
それが自分にとっての逃げ道であっても、唯一無二の生き方なのだ。

TOEICスコア300から2年で770まで上げたときの話

TOEIC550がようやく突破できた、という方のブログを読んだ。550がどの程度のレベルだったかは忘れたが、私の経験が誰かの役に立つかもしれないと思い書いてみることにした。

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短大入学時に受けさせられたTOEICは300代だった。クラスで一番低かった。そこから770まで何をしたか、備忘録もかねて思いだせる限りで書いていく。
 
ポイントは次の3つ。
1.文法は高校レベルで十分
2.参考書は3冊(ぶっちゃけ1冊)で十分
3.TOEICにはコツ(独特な解き方)がある
これらをすでに知っている人、実践している人には本エントリは必要ない。
 
軽く私のことを。
私の入学した短大は「英語コミュニケーション学科」。言ってしまえば、2年間はひたすら英語に打ち込める環境だった。ただ、偏差値は46とかなり低い学校だったため、授業自体はレベルの高いものではなかった。むしろ、高校の延長線程度の内容だった。
しかし、TOEICに特化した授業に関しては、770を取るための礎になったのは間違いない。それは主にTOEIC得点取得の方法だった。活かすも殺すも自分次第ということだ。授業で出された課題をこなす程度では高得点には当然届かない。授業外でどれだけTOEICの勉強に時間をさけるかで結果は決まっていた。
実際、努力家で知られていた同じ学科の友人は、卒業までに800代をとっていた。
 
 
文法は高校レベルで十分
まず、前提として高校レベルの文法はある程度できること。「ある程度」というと曖昧だが、私の経験に置き換えると最低このレベルだ。
・中学時代は英語が得意だった
・高校ではほぼ勉強しなかった(中退している)
・予備校に通っていたが、一番下のクラス
・短大に入学したが偏差値は低い(46)
 
私はここからスタートした。中学時代の英語が活きてか、予備校での高校レベル(簡単な大学入試レベル)の文法はすんなりとのみ込めた。
TOEICを受けるにあたって、高度な文法は必要ない。英文は必ずS(主語)、V(動詞)、O(目的語)、C(補語)で形成されている。つまり、SV、SVC、SVOO、SVOCが理解できていればTOEICにおける文法は十分だ。実際に私は、予備校最低クラスと短大での高校延長線レベルの英文法しか勉強しなかった。
 
 
参考書は3冊で十分
参考書を買いすぎてどれから手を付けていいかわからない、ということが私にはあった。経験のある人もいるかもしれない。

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しかしそのほとんどが数ページで使わなくなった。途中で飽きた。いろいろな参考書を使って分かったことは、とにかく継続できる参考書と出会うこと。
英語を勉強する上でよく聞くことだが、同じテキストを数十回繰り返すことはかなりの忍耐力がいる。そのため参考書選びでは、長期間継続できる、楽しみながら勉強できるというのが大切になってくる。
 
それをふまえた上で、テキストを選ぶポイントは次の3つ。
1.英単語、イディオムが覚えられるもの
2.長文が載っていて(長文読解)リスニング用のCDが付いているもの(リスニング対策)
3.TOEIC問題集
正直これ以外は必要ない。極論を述べれば、1も2も必要ないだろう。TOEIC問題集で、必要な語彙力、長文読解、リスニングはカバーできる。
私の場合、問題集だけでは勉強が苦痛になったため、楽しみながらできるものを2冊付け足した形だ。
 

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『DUO3.0』は言わずと知れた単語帳だ。とにかく繰り返し聞き、繰り返し音読し、繰り返しシャドーイングする。ディクテーションもできればさらに効果がある。
私は何十回まわしたか覚えていないほど繰り返した。起床してから1時間ほど音読、通学中や入浴中にはリスニングなど、常に手元においてあった。
DUOには、他の単語帳と同様に、1つの単語に複数の意味が記載されている。しかしこれらをすべて覚える必要はない。代表として載せられているものだけを覚えるので十分だ。それであってこそのDUOだと思う。
 
リスニング対策に使っていた『英単語・熟語ダイアローグ1800』。英単語・熟語を覚えることよりは、楽しみながらリスニングができるから使っていた。本文は会話形式で書かれていて、音声も単調なものではなく外国人らしい(?)リアクションで面白く、聴いていて飽きない。
使い方としては、主に「英語上達完全マップ」というサイトを参考に、精読・リスニング・音読・シャドーイングなどを行っていた。しかしその方法では飽きてしまったため、かなりの試行錯誤の後、次のように決めた。
1.英文精読
  構造を完全に把握。単語の意味を確認
2.テキストを見ながらリピーティング×5
  イントネーションを完全にまねる。英文をイメージする
3.音読×15
  イントネーションを忠実に再現。文の構造、イメージが頭に入りにくい個所はペースダウン
4.リピーティング(テキストなし)×5
  文の構造、イメージを実感しつつ滑らかに
  イントネーション、単語の落ち、間合いに注意する
6.通して聞く×3
これにオーバーラッピングやたまにディクテーションも加えて、飽きがこないようにしていた。といっても、ダイアローグは10回ほどまわしてやめてしまった。
 
ここで真打登場『TOEICテスト新公式問題集Vol.4』。言うまでもなくこれも繰り返すことが大切だが、一番重要なのは本番と同じ時間内で解くこと。初めはPart7までいけないかもしれない。知らない単語はわんさかでてくるが、それでいい。その単語を覚える、間違えた文法を確認する、知らなかったイディオムを暗記する、それによってTOEICに直結する知識を手に入れられる。
時間内で解くのは、本番により近い緊張感を持たせるため。試験では当然緊張する。それによって本領発揮できないことは多い。その緊張感をより多く経験しておくこともTOEIC受験には必要なことだ。
※現在ではVol.5の最新版が出ているため、そちらの購入をおすすめする。
 
 
TOEICにはコツ(独特な解き方)がある
いろいろとあるため箇条書きで。
・分かる所から答えていく(分からないものは問答無用でとばす)
・消去法を使う
・時間は点数が確実に取得できる所で使う(得意なPartを作っておく)
・解答は芯の太い鉛筆を使う(解答欄を早くぬれる)
・Part1は一番ゆっくり音声が流れるため、ここで満点をねらう
・Part3は設問を覚えてから音声が流れるよう早め早めに読んでおく
・リーディングはPart7から解く
・Part7は1問4分以内で解く
・Part5は1問30秒で解く
・Part7には50分、5,6には20分かける
 
時間配分に関しては、何か科学的な根拠があるわけではない。そのため、このペースを基本に解いていきながら、自分なりの配分を考えるのも一つの手だと思う。
 
 
ここまで、私の経験をもとに書いてきたが、実際のところ770は決して高得点ではない。就活にあたって求められるのは(当時は)800であり、その時点で私は足切りにあっていただろう。
短大卒業後、大学の3年次編入をした私の周りには、800超えの学生はいくらでもいた。中には990(満点)近くとったにも関わらず、満点がとれなかったことに憤慨している人もいた。学生において高得点を名乗れるのは800以上の人だろう。
 
 
700代を取ったあたりから、TOEIC試験自体が楽しくなったのを覚えている。就活や昇進でTOEICが必要なのは確かだが、私としては生の英文を自分の力で読めるようになったことが一番の喜びだった。辞書を使いつつもJapan TimesやNational Geographicを読めるのは本当に楽しく、日本語訳では味わえない世界がそこにはあった。
あれから数年、英語にまったく触れない生活をしているうちに、ほとんどの英単語や文法を忘れてしまった。いまTOEICを受けても、500もいかないだろう。このエントリを書きながら、人生をより豊かにするために、もう一度英語を勉強したくなった。

キラキラネームは生きている―キュウソネコカミに異議あり―

日本のロックバンド、キュウソネコカミが歌うの曲「What's your name?」に次のような文章がある。
 
流行るキラキラ光るお名前は時に人生の邪魔になる
ペット感覚で命名するエゴな親たち
(中略)
流行るキラキラ光るお名前は良くも悪くも忘れない
お歳召したらどうすんだろ 気の毒な話
 
この歌詞には、キラキラネームを名付ける親に対しての批判、名付けられた子どもへの同情が込められているのは言うまでもない。
そもそもキラキラネームとは何なのか。これはもともと、DQNドキュン)ネームと呼ばれていたものが、保護者側が独自にキラキラネームと呼ぶようになり定着した。DQNネームは「人名としては一般常識に反するとされる珍しい名前」(Wikipediaより)に対する蔑称であり、ネットスラングのひとつだ。

結論から述べよう。キラキラネームは決して批判されるようなものではない。私はキラキラネームに対して肯定的な考えをもっている。ここではキュウソネコカミの歌詞を引用しつつ、私の考えを書いていく。

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ペット感覚で命名するエゴな親たち

 私は仕事柄、子どもに接することが多い。そこでは私の生まれた時代にはいない、珍しい名前の子どもが多くいる。難しい漢字を使用していたり、当て字であったり、外国人のような名前は日常茶飯事だ。

はじめこそ違和感を感じていた私だが、それらの名前を見ているうちに、そこに込められた親の想いを感じるようになった。
例えば、私がよく見かける子どもの漢字に「煌」がある。「煌煌(こうこう)」という熟語には「強く光り輝く様子」という意味があり、わが子に強く光輝く人生を送ってほしい、そんな願いがここには込められていると考えられる。
 
親子の姿を見ていて実感するのは、親は子どもを心から愛しているということだ。そこには”ペット感覚で命名”などというものは決してあり得ない。時間をかけ、漢字辞典を引き、生まれてくる我が子への生涯のプレゼントを吟味している、その姿が私の目には浮かんでくる。
 
 

お歳召したらどうすんだろ 気の毒な話

年老いてから自身の名前をどう感じるか。数十年後、自分はこんな名前を付けられて苦痛だ、と感じる子どもはごく少数だと私は考える。

○○子(例えば和子など)という名前は、今や一昔前の名前となった。それは平成に生まれた私でも実感している。○○子以前にはカタカナ表記の二文字の名前(例えばトメなど)が多くいた。つまり、人の名前は時代とともに変容していくものなのだ。今の子どもたちが歳をとる頃には、キラキラネームは当たり前になっているだろう。もしかしたら、キラキラネームはもう古い、と言われているかもしれない。それは時代の流れであって、日本人が生きていく上で当然のことなのだ。

 
昨今、キラキラネームへのさまざまな批判が飛び交っているが、言うまでもなく、一番大切なのは名付けられた子ども自身がどう考えるかだ。その名は決して安易な思いでつけられたものではない。お腹を痛めて産んだ我が子への愛おしさがあってこそ生まれた名前なのだ。それを当人が忘れない限り、その名前は輝き続けるのだろう。

贈る言葉

毎年3月には、日本中でいろんな卒業式が行われる。幼稚園、小・中学校、高校、大学など。この門出に必ず使われる言葉、「おめでとう」がある。
 
卒業において使用される「おめでとう」とは、卒業までにさまざまな困難を乗り越えてきた華々しい努力を称える、という意味だと私は考えている。
卒業式のその日まで、怪我、病気、子どもながらの人間関係、保育所においては親とあまり過ごせない不安な日々。それらを乗り切り、次のステップへ進もうとするその姿には、まさに「おめでとう」の一言が相応しい。
 
この言葉に込められた意味を考えると、単なる恒例として使うのはもったいない。言葉の真意を内に秘めて発することで、はじめて相手への敬意を表現できる。
もうすぐ子どもたちが卒所式が始まる。ここから旅立っていく彼らに、私は真心を込めて「おめでとう」と伝えるつもりだ。

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追記3/22

卒所式を終えて、私がお世話になっていた児童からプレゼントをもらった。表には私の名前が書いてあった。ほんの少ししか関われなかったのに、覚えていてくれた。彼女を抱きしめながら、涙ながらに声にならない声で何度も「ありがとう」と伝えた。

卒業という別れは、卒業する人への祝福だけでなく、残る人が感謝を伝える場でもあると知った。あなたと出会えてよかった、今までお世話になりました、というお礼を告げる。それは、彼女にプレゼントをもらわなければ気付かなかったかもしれない。

また来年卒業していく子どもたちには、「おめでとう」だけでなく「今までありがとう」とも伝えていきたい。

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